アウル通信
『自問自答』
2025年 5月号 NO:245
なぜだかいつも、これでいいのかなとクヨクヨ考え、応えのない問答をいつまでも何度でも繰り返すことになる。
それは結局自分自身を追い込むことになる。
自分で言うのもなんだが、そのお陰で人一倍感受性が鋭い生き物と化した。
ちょっとしたことで色々と感じてしまう。
人の顔色や言動と周りの反応を感じて生きてきたからだろう。
先日友人の招待でエスコン(日ハムのホームグラウンド)に行っただけで感動して泣いていたくらいだ(笑)
だがしかし。それが一見悪いように聞こえたり見えたりするが、生きていくためにこう捉えるようにしている。
この感受性は、とてもこの仕事に向いているようだ、と。
なぜなら、お爺さんお婆さんの変化にとても敏感に反応するからだ。
普段の人間関係で言うと、とってもめんどくさいことの方が多い性質だが、あえて受け入れている。
もっと自分を励ますような言い方をすると、きっと天職とか適職とかなんだろう。
お爺さんお婆さんの気持ちや変化を、なんとなく勝手に感じてしまう。
しかし、気をつけなければならない。
彼らといつも共にいると、馴れ合いになる時がある。
見えるものが見えなくなり、感じられることが感じられなくなるからだ。
つまり鈍感になってしまうのだ。
逆に彼らとの時間や距離を置いてみると、以前との変化を敏感に感じるのだ。
なんのためにこの仕事をしているのかと、応えのない日々の連続だけれども、そんな自分でもいいと許可をして、自分を信じて淡々と生きるしかないようだ。
そのための自問自答なのだから。